北ヨーロッパでは排熱を利用しての地域給湯が盛ん。
新開発地域では各戸にお湯が供給される。それを使って窓の下にはパネルヒーターが設置される。この高層住宅は超高気密高断熱住宅でQ値は非常に高かったが、無暖房を選択してはいない。
大課題だった新しい換気に対する手がかりは、何とか得られた。
次は暖房と冷房。
温暖地の日本では、寒さは「我慢するもの」であった。
戦前戦後はらくだの股引と足袋を穿き、ドテラを着、襟巻きをして火鉢かコタツ、あるいは囲炉裏で暖をとった。
数寄屋造の名建築といえども、冬期は隙間だらけで室内外の温度差はなし。
東京オリンピックを境に1965年以降、アルミサッシと石油ストーブが急速に普及し、室内外の温度差は拡大。と同時に結露問題が幾何級数的に増大。
しかし、暖房はどこまでも局地的、間欠的なもので、「我慢するもの」という基本は変わっていない。
これに対して寒冷地の北欧、北米、ロシア、モンゴルなどでは全館暖房が大前提。
極寒地の屋外ではプラスチック類は組成が破壊されて使い物にならない。このため純毛と純綿しか身にまとっていない。だが一歩家の中に入れば純綿の薄着だけで生活している。極寒に耐える身体を作るには、家の中は暖かくなければならない。家の中が暖かく、血の巡りが良くて行動的だから、屋外の極寒に耐えられる。
住宅の絶対的な条件は「冬は暖かい」こと。
日本のように寒さを我慢することが美徳であり、古い旅館で震えながら燗酒を交わし、風呂場で脳卒中で倒れることを風流視する文化は、世界にない。
つまり、北海道などの寒冷地を除いて、関東以西の日本では未だに「全館暖房」というコンセプトの意義と重要さが理解されていない。
全館暖房はCO2削減運動に反するもので、大変に「もったいない」反地球的な行為だと信じている日本人が、未だに80%にも及んでいるのではなかろうか…。
工夫すれば、全館暖房をしても燃費はほとんどかからないという事実を知らない。
そして、本当の「暖かさ」も知らない。
日本人の知っている暖かさは、周辺が寒いから手をかざし、顔や背中を熱源に向けて直に採るものだった。焚き火、火鉢、囲炉裏、コタツ、石油ストーブがそうだった。
空調機による暖房も、温風が直に当たらないと暖かくなかった。
家の中には3つの温度差が…。
部屋の天井と床の温度差。朝、昼、夜の時間差。居間と廊下と寝室などの居室差。
断熱性を良くし、気密性を高めると3つの温度差をなくすることが出来る。
そうすれば、直に火に手をかざして暖をとる必要はなくなる。
そして、北欧を中心に広く採用されているのが温水のパネルラジエーターによる輻射暖房。温度差がある時は床暖房が有効であった。しかし温度差がなくなったら、コントロールの難しい床暖房が見捨てられ、パネルラジエーターに変わった。
日本で床暖房が未だに重宝されているのは住宅の断熱・気密性能が悪く、部屋の上下に温度差があるという立派な証拠。
日本でもT地域、U地域だけでなく、最近ではV地域でもこのパネルラジエーターを採用している良心的なビルダーと先進的な消費者が増加している。
この輻射暖房の、ソフトな温かさを体験したほとんどの消費者は、他の暖房に戻ることが出来ない。Uターン禁止の世界。


